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TVゲーム今昔
1991年(平成3年)スーパーファミコン全盛
「この年の主な出来事」
・2/14 アーケードでストリートファイター2
・4/20 ゲームボーイでスーパーロボット大戦
・5/24 ガイナックスからPCでプリンセスメーカー
・6/21 PCエンジンコアグラフィックス2発売
・7/12 ファミコン通信が週刊化
・7/19 SFCでFFⅣ発売
・7/26 メガドラでソニック・ザ・ヘッジホッグ
・9/21 PCエンジンDUO発売
・10/25 PCエンジンスーパーCD_ROM2発売
・10/25 コンパイルからディスクシステムとMSX2でぷよぷよ発売
・11/21 SFCでゼルダ神々のトライフォース
・12/12 SEGAメガCD
・12/13 PCエンジンLT
・12/14 ゲームフリークからSFCとGBでヨッシーのたまご発売
■対戦格闘ブームの火付け役
2月14日、アーケードで 「ストリートファイターⅡ」 が稼働開始します。
・従来のアクションゲームとは比較にならない 巨大キャラ
・開始時に選ぶ操作キャラクターも通常2~3人の所を8人から選べ、その誰もが容姿も技も個性的
・各キャラの性能差や1つの技を出していれば勝てたりしない様に、最後まで単調にならずに遊べる作り込まれたゲームバランス(全くパターンが無い訳ではありませんが)
上記の魅力的な特徴を持った本作は年中通う常連はもちろん、普段ゲームセンターに来ない人も来店させる大ヒットとなります。しかし、このゲームが本当に日本中のゲームセンターで大ブームになったのは稼動してから数ヵ月後でした。
稼働して数ヶ月もすると、ゲームセンターに通い詰めたプレイヤーは1人プレイでどのキャラを使ってもエンディングまで行ける様になります。
そしてこのタイトルには前作同様にプレイヤー同士が戦える「対戦モード」 がありました。
前作は主人公が1人だけだったので、対戦と言っても全く同じ性能(混乱するので見た目は多少違いますが)を持った1種類のキャラ同士でしか戦えませんでした。
しかしリュウ対ケンのみだった前作の対戦と比べて 「Ⅱ」 は見た目も技も全く異なる個性的な8人から使用キャラを選べ、プレイヤー毎に思い入れのあるキャラで戦える訳です。
「自分はどれ位強いのか?」
パターンを見つけてしまうとどうしても単調になってしまうCPU戦では得られない、相手のクセを見抜いてギリギリの駆け引きの中で勝負する緊張感を求めてプレイヤー同士の対戦が盛んになって行ったのです。
ちなみにプレイヤー同士の対戦プレイでは負ければGameOverとなって席を立ち、勝った者だけが1人プレイで遊び続けます。この 「強い者しか遊び続けられない」システムがプレイヤーの向上心を煽り、「対戦格闘」 という新しいジャンルが誕生します。
そしてこの対戦形式は営業する店舗側も大歓迎でした。
対人戦で1分持たずに相手に負けても「自分が弱いから」 とプレイヤーは納得して席を立ち、どんなに長引いても1試合2~3分で必ず決着がついてどちらかのプレイが終了するので、これまでに無い回転率で収益が飛躍的にアップしたのです。
そして対戦格闘システムは筐体のシステムにも影響を与えます。
稼働当初は1P・2Pのレバーとボタンが横並びの筐体だったので、隣に恰幅の良い人が来たら物理的に押し出されて操作に重大な支障がありました。この問題に対処する為にあるゲームセンターが1枚のゲーム基盤から2つの出力を確保して、向かい合わせに設置した一人用筐体2台に出力して「対戦用筐体」 として稼働させたのです。
それを聞きつけたカプコン開発スタッフもその店を訪問したとか。(1枚の基板から無理矢理2つ出力していたので電力不足から少し画面が暗かったらしいです)
その環境を参考に改めてカプコンが2台の筐体を使った「通信対戦筐体」を発売します。
この稼働スタイルを公式にカプコンが採用して専用の筐体を発売すると、一気に全国のゲームセンターにこのシステムが普及してストⅡ人気を更に加速させます。
ストⅡから始まったこの対戦格闘人気に他メーカーも続々と同じシステムのタイトルを発売し、現在でも毎年発売される格闘ゲームの中から人気の高いタイトルを使った全国大会や世界大会が実施される等、人気ジャンルとしてゲームセンターに定着しています。
■ロボット大集合
4月20日、人気ロボットアニメのキャラが作品の枠を超えて登場する「スーパーロボット大戦」がバンプレストからゲームボーイで発売されます。
各ロボットアニメの原作ストーリーを踏襲しつつ、デフォルメされたロボット達が敵と戦い進めて行くクロスオーバー作品としてシミュレーションゲームにロールプレイングゲームのドラマ性をプラスした「シミュラマシリーズ」と呼ばれていました。
誰もが「いつか作りたい遊びたい」と思っていても各作品の権利関係の問題から「まぁ、出来ないよね」と思われていたこのタイトルの発売には、発売元であるバンプレスト設立の経緯が大きく影響しています。
まず、バンプレストは1977年に豊栄産業株式会社としてスタートした会社が1989年にバンダイの子会社となった際、バンダイの「バン」と「急速に」を意味する音楽記号(プレスト)を組み合わせて改名、杉浦幸昌(すぎうらゆきまさ)氏を初代社長としてスタートします。
杉浦氏はおもちゃメーカーのポピーやバンダイに在籍時に各ロボットアニメの版権を持つ企業と培ったツテから社長就任のご祝儀として版権元から許可を取り付けて「SDバトル大相撲 平成ヒーロー場所」を発売します。
実は版権の許可は一度だけだったのですが、売れ行きの良さから継続され、その後も特撮ヒーローとロボットが共演する「コンパチヒーローシリーズ」が発売されます。
その後、デフォルメキャラとはいえ仮面ライダーを始めとする特撮ヒーローとガンダム等のロボットが同じ大きさで登場する世界観に違和感を感じたプロデューサーがアニメロボットだけに絞って「ロボットアニメ版大戦略」としてシミュレーションRPGを企画します。
こうして生まれたのがコンパチシリーズ第二弾「スーパーロボット大戦」です。
1作目はシリーズ第一弾の「コンパチヒーローシリーズ」を踏襲してパイロットが登場せずに擬人化したロボットが会話や戦闘をしていました。
2作目からロボットを操縦するパイロット達が登場、熱血ヒーローならではの特殊コマンドが登場して歴史シミュレーションには無い世界観を構築します。
ゲーム本編ではシリーズを重ねる毎に進化する当時のアニメ作品を忠実に再現した戦闘シーンが話題となります。また、当時の懐かしいヒーロー・ヒロインがCMで登場すると「なぜこいつらが今TVに?!」と当時夢中になってアニメ作品を見ていた往年のアニメファンも注目させます。
そして放映当時を知らない子供達はマジンガーZやゲッターロボと言った数十年前に活躍したロボット達をこの作品によって知る事になり、人気が再燃するきっかけにもなっています。そんな普段ゲームをしない人達も巻き込み、シリーズタイトルの累計は50を超えて販売本数も累計1500万本を超える人気シリーズとなっています。
バンプレストは2008年にバンダイナムコゲームスにゲーム事業を移管した際に企業としては解散していますが、その企業名はブランド名として今も使用されています。
■育成シミュレーションの元祖
5月24日、PCゲームでガイナックスから「プリンセスメーカー」 が発売されます。
ゲーム本編はプレイヤーは魔王から王国を救った勇者となり、孤児院から10歳の少女を引き取り義父として育てる内容です。
1ヶ月毎に娘のスケジュールを設定し、どんなアルバイトや習い事をさせるかで娘のパラメータ(体力・腕力・気品・色気等)が上下し、育て方によって18歳の誕生日に迎えるエンディングでプリンセスをはじめ貴族や商人の妻、傭兵・司祭・娼婦等の将来が待っています。
社内で「女の一生をゲームにする」という希望と「『信長の野望』の部下を教練する部分だけをゲームにする」という希望が組み合わさった結果、「女の子を育てる」と言うアイデアになったそうです。
目的を達成する為に対象(人・町・チーム・プレイヤー自身)の数値化されたパラメータをプレイヤーが出す指示によって上下させ、その過程を楽しむ「育成シミュレーション」の対象に「娘」を追加して同ジャンルの新境地を
開いたと言われています。
当時シミュレーションは市長となって街を発展させて行くアメリカで発売された「シムシティ」 をはじめ、蟻の巣を作る「シムアント」 や神となって惑星を育てる「シムアース」 等のシムシリーズがシミュレーションゲームの代名詞的存在でした。
プリンセスメーカー発売当初はまだ「育成シミュレーション」という呼び名が浸透していなかった事から、「シムねーちゃん」なんて呼ばれていました。
■突然の破綻
昨年1月にスーパーファミコン用CD_ROMドライブをソニーが開発中である事が発表されてから1年近く経ったこの年の5月、久夛良木氏は任天堂との打ち合わせに向かう途中でした。
任天堂がディスクシステムを発売した1986年から交渉を続けて5年、メイン媒体でないにしろスーパーファミコン拡張機器としてCD_ROMドライブ開発の内諾を得て、1990年には任天堂・ソニー双方の社長がサインした契約書を交わして公に発表する所まで来た。久夛良木氏が目指していた
「あらゆるエンターテインメントの中心となるコンピューター」
それが任天堂というパートナーを得てようやく形になろうとしていた矢先、耳を疑う報告を受けます。任天堂がCD_ROM分野でフィリップス社との提携を発表したのです。
フィリップス社はCD_ROM分野の古参メーカーで、1986年にソニーと提携してCD_ROM互換規格である「CD-Interactive」(CD-i規格)を制定する等、共にCDの普及に努力して来ました。今回のスーパーファミコン用CD_ROMドライブの件でも、試作機をフィリップス社に見せる位に信頼出来る仲間だったのになぜ……?
任天堂に到着した久夛良木氏は説明を要求しますが、返答は「発表の通り」と言うだけでした。
「ソニーとの契約は破棄しない」
とも言われましたが、今回の行動から任天堂がスーパーファミコン用CD_ROMドライブをまともに商品化する気が無い事は明白でした。久夛良木氏は事実上の計画破棄を突き付けられた事を思い知らされます。
そしてその理由ですが……
・CD_ROMで開発されたタイトルのロイヤリティを全てソニー側が受け取る契約になっている事を契約した後に
任天堂が気づき、スーパーファミコンが乗っ取られる事を防ぐ為に契約破棄を画策した
・フィリップス社は折角作ったCD-i規格を推進したかった。規格を共同制定したソニー社内にも当然CD-i規格を推す部署があった。そうした人間達にとって今回の久夛良木氏の計画は邪魔だった
書籍やネットを調べた所、上記の理由が見つかりました。事実なのは
・余りに突然の提携発表だった
・事前に任天堂から久夛良木氏に何も連絡が無かった
・ソニーのCD-i部署は事前に任天堂とフィリップス社の提携話を知っていたはずなのに、それを同じ会社の
久夛良木氏に知らせなかった
まとめると
「契約してから自分達の不利に気付いて破棄を画策した任天堂と、久夛良木氏の計画を快く思っていなかったソニーのCD-i部署とフィリップス社が結託して久夛良木氏の計画を潰すべく秘密裏に別の提携を進めた」
という事になるでしょうか。
そうなると久夛良木氏は実は敵だったフィリップス社に自分の計画を逐一報告して自分の計画を排除させる絶好のタイミングを教えていた事になります。
氏が在籍するソニー社内のCD-i部署も当然同じ会社として氏の計画の進行状況を把握していた。
↓
そして絶好のタイミングでフィリップス社は任天堂に別の契約話を持ち掛け、昨年結んだ契約を破棄したい任天堂と思惑が一致した。
↓
フィリップス社と繋がるソニーのCD-i部署も久夛良木氏にこの話が漏れない様に協力した。
↓
久夛良木氏の周りには誰一人味方がいなかった…
真偽を確認出来ないので結局推測です。しかし、互いの社長が認め合った話を本当にこんな経緯で潰したのなら…当時の任天堂は「すごい」ですね。
とにかく、久夛良木氏が1986年から5年に渡って進めて来た計画は形だけのものとなり、スーパーファミコンにサウンドチップを提供したという実績のみを残して事実上消滅します。何も対応出来ないソニーは、数日後にシカゴで行われたコンシューマエレクトロニクスショーでも予定通りにドライブの発表するしかありませんでした。
が、その翌日には同じイベントで任天堂がソニーには全く触れずにフィリップス社との提携について意気揚々と発表します。全世界に向けて久夛良木氏の晴れ舞台になるはずだったイベントは、天下のソニーがおもちゃメーカーの任天堂に全く相手にされていない事を公表しただけの全世界に恥を晒すイベントに終わりました。
完全に主導権を任天堂に握られている以上、提供したサウンドチップの供給もやめられずにその後も形だけの提携を約1年続けますが、何も変わらず結局そのまま打ち切られます。
久夛良木氏に残されたのは繋げる相手を無くした拡張CD_ROMドライブのみ。
自分にも、ソニーにもTVゲーム機を作った経験は無い。任天堂の絶対政権下で協力してくれそうなゲームメーカーも無い。
そもそもTVゲーム機をエンターテインメントの中心と推す久夛良木氏に同調する者が社内に極めて少ない。
そんな手さぐりの状態で、老舗玩具メーカーとして豊富なノウハウを駆使し、ファミコンでは他メーカーのライバルマシン全てに勝利、後継のスーパーファミコンでも独裁政権を築きつつある無敗の王者 「任天堂」 を相手にする。どう考えても不利な要素しか無い状況の中で久夛良木氏は任天堂への復讐を決意します。
この3年後、このスーパーファミコン用拡張ドライブは氏の執念によって敢えて名前をそのままに、家庭用TVゲーム機として発売されます。
■コアグラフィックス廉価版
6月21日、1989年に発売されたPCエンジンコアグラフィックス(¥24800)の廉価版としてPCエンジンコアグラフィックス2が¥19800で発売されます。
値段が下がっただけで機能の追加等は無く、スーパーファミコンの勢いにさらっと飲み込まれます。
■ゲーム誌はファミコン通信でウッドボールだね
パソコン雑誌 「Login」 の1コーナーを1986年にゲーム専門誌として創刊された「ファミコン通信」が7月12日発売号から週刊化されます。(タイトルは週刊化第一号の表紙のあおりです)
1986年の創刊号は元雑誌Loginの販売部数に習って70万部を発売したものの、10数万部しか売れずに7割以上の返本を食らいます。
更にドラゴンクエストの紹介記事で思い切りラスボスの写真を掲載して編集長自ら発売元のエニックスに詫びを
入れに行ったりと華々し過ぎるスタートでした。
その後は「ファミコン」と名が付くゲーム専門誌ながら、誌名に捉われずに幅広いハードの情報を扱いいます。
ユーザーとの距離を縮めようと、全くゲームと関係無い読者コーナーや漫画を連載すれば読者人気ランキングで本分であるゲーム攻略記事より上位に来てしまう自由で斬新な紙面作りで、他誌が休刊に追い込まれる中でも順調に売り上げを伸ばします。
現在でも4人のレビュアーが10点満点で新作ソフトを評価するクロスレビューは人気コーナーとしてユーザー・業界を問わず一定の指標として評価されて2006年には創刊20周年を突破、現在でもゲーム専門誌の第一人者としてゲームソフト発売と同じ毎週木曜に発売してます。
■夢、4度め
7月19日、スーパーファミコン初のファイナルファンタジーとなる「Ⅳ」が発売され、143万本を売り上げます。
ちなみにこのⅣは実は「Ⅴ」として開発されていた物で、元々Ⅳはファミコンで開発されていました。
スーパーファミコンの時代という事でファミコン版のⅣを破棄したそうです。(前3作のシナリオを担当した寺田憲史氏が雑誌 「ゲーム批評」2001年11月号のインタビューで「ファミコン版FFⅣが消滅したのは経営陣が開発に口出しして来たのが原因」とも述べています)
ゲーム内容ではATB(アクティブタイムバトル)と呼ばれる戦闘システムが搭載され、各キャラにATBゲージという情報を表示してゲージが溜まったキャラから行動出来ます。
「味方と敵が必ず交互に行動する」
という当時RPGではお約束だった戦闘システムから時間をゲージで視覚化して緊張感を持った戦闘をリアルタイムに行うシステムとして以降FF以外のスクウェアタイトルでも採用されています。(タイトルによって実装仕様は微妙に違う)
■音速のハリネズミ
7月26日、セガからメガドライブ用ソフト「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」が発売されます。
任天堂にマリオがいる様にセガの看板となるキャラを目指して作られたこのゲームは、ジャンルとしてはスーパーマリオと同じ横スクロールアクションです。
制作を担当した中裕司氏は縦横関係なくステージを駆け抜ける高速スクロールアクションを目指します。
そしてそこにはカプコンの「大魔界村」をメガドライブに移植した時に身に付けた技術が生かされていました。
セガはマリオとのスピード感の違いを徹底的にアピール、主人公ソニックの媚びないクールなキャラクターも受けて期待通りメガドライブの売り上げに大きく貢献します。
特に海外ではソニックによってセガ自体をクールな企業として認識させる事に成功し、ピーク時にはメガドライブの売り上げがスーパーファミコンを上回るという日本では考えられない現象が起きて「ヒゲがねずみに負けた」と業界に大きな衝撃を与えました。
しかし、この現象は海外のみでした。
日本国内ではソニックは知名度・売り上げともにあまり伸びませんでした。
なぜかセガはソニックを日本国内では積極的にアピールしなかったのです。(その後も続編が発売されましたがあくまで他タイトルと同じ扱いでした)
日本と海外とのユーザーの違いを考慮したのか、海外以上に任天堂優位がはっきりしていた日本市場ではメガドラに見切りをつけて次の手を模索していたのか・・・・。
詳しい事情は分かりませんが、とにかく日本の数倍(数十倍?)の規模を持つ海外であのマリオと一時でも互角に渡り合ったソニックは日本では積極的に展開されませんでした。
■世界初CD_ROM標準搭載ゲーム機
1988年に世界で初めてCD_ROMドライブを拡張機器として発売したPCエンジンですが、CD_ROMドライブ発売当初からある問題が顕在化していました。
CD_ROMのおかげでゲームソフトは一気に大容量になりましたが、メディアからデータを読み込んで展開するゲーム機本体のメモリは一気に大容量とは行かなかったのです。
当時のCD_ROM容量540メガバイトに対して、読み込んだデータを一時的に保存しておくメモリ容量は64キロバイト。実に8640分の1しか無いのです。(RPGで戦闘シーンの度にCD_ROMへのアクセスが発生していました。当時の等倍速読み込みのドライブで、です)
このゲームソフトとゲーム機本体の記憶容量格差を解決するハードがこの年の9月21日に発売されます。
PCエンジン本体とCD_ROMドライブが一体になった「世界初のCD_ROMドライブ標準搭載ゲーム機」PCエンジンDUO(¥59800)です。
従来のPCエンジン(¥24800)とCD_ROM2(¥57300)を購入するより2万円以上もお買い得になっただけでなく、前述の読み込み用メモリも4倍の256キロバイトに増設されてメディアへのアクセス頻度も減少、プレイ時のストレスも減少しました。
遊ぶユーザーにとって読み込みメモリが増えるのはもちろん良い事なのですが、ゲームを開発するソフトメーカーにとってそれは開発手法が変わる事を意味します。
つまり同じ「CD_ROM2用ソフト」というカテゴリでありながら、メモリを拡張した新型CD_ROM2(SUPER CD_ROM2)用と旧式のCD_ROM2用という互換性の無い差別化が生まれてしまったのです。
問題1
「もうPCエンジン持ってるんだけど、DUOを買い直さないと今後発売される新型のSUPER CD_ROM2用ソフトで遊べない?」
問題2
「PCエンジンとCD_ROM2持ってるんだけど、合計8万以上出して買ったゲーム機全部買い直しなの?」
こんな問題が出て来ます。
問題1にはSUPER CD_ROM2用のゲームが遊べる名前そのままの拡張ドライブ「SUPER CD_ROM2」が12月に¥47800で発売します。
問題2には10月26日に発売された読み込みメモリ拡張機器「スーパーシステムカード」(¥9800)を購入する事でPCエンジンDUOと同等の環境を手に入れる事が出来ました。
追加費用が掛かりますが、これで全てのPCエンジンユーザーにSUPER CD_ROM2用のゲームが遊べる環境が整います。
はい。上記の対応で機能面の拡張は完了するんです。
つまり実質2万円以上も値引きしたDUOは新型CD_ROM2発売を機に全くPCエンジンのゲームで遊ぶ環境を持たない新規ユーザーに環境を揃えてもらおうというお買い得バリューセットなんです。なぜ新規ユーザーの拡大を図ろうとしたのか?スーパーファミコンが先代に続いて市場を掌握しかけていたからです。
ファミコンを超える性能を売りにしていたPCエンジンでしたが、今度はそのファミコンの次世代機に性能を凌駕されて旧式枠に入ってしまいました。
性能でアピール出来なくなった所で何をアピールすべきか。
スーファミが採用しなかったCD_ROMメディアの長所をよりアピールすべきと考え、CD_ROM2とPCエンジン本体をセットにしたDUOをお値打ち価格で売り出したのです。(読み込み速度の違いを体感してもらう為にDUOにはSUPER CD_ROM2対応の天外魔境が同梱されていました)
その後、94年にCD_ROMドライブを採用した32bitマシンが各メーカーから続々と発売され、PCエンジンは苦戦を強いられます。
強力過ぎるライバルの出現に対抗すべく、94年にNECはPCエンジンの後継機となる32ビットマシン「PC-FX」を発売します。
そして後継機が発売された事でPCエンジンは実質その役目を終えます。しかし役目を終えようとしていたこの94年、PCエンジンはあるソフトを世に送り出します。
コナミから発売された「ときめきメモリアル」です。
「卒業式の日に校庭のはずれにある伝説の樹の下で、女の子からの告白で生まれたカップルは永遠に幸せになれる…」
という意中の女の子から告白される事を目指して高校3年間を過ごす「恋愛シミュレーション」というジャンルのゲームでした。
それまで正統派で硬派なタイトルをリリースして来た従来のコナミブランドから一線を画し過ぎるこのタイトルは、ユーザーに様々な驚きを持って迎えられました。
しかしそこは実力と実績を兼ね備えたコナミ。
戦争の戦術会議から生まれたシミュレーションという歴史あるジャンルのパラメータ育成システムと突発的要素を高校生活の恋愛というテーマに見事に融合させ、当時パソコンゲームの一部ユーザー達の物だった「美少女ゲーム」 と呼ばれるジャンルを家庭用ゲームで世に知らしめたタイトルとして大ヒットを記録します。
その人気はPCエンジンだけに留まらず、プレイステーションやセガサターンやスーパーファミコンといった当時の主要ハードに移植されると、累計100万本を超える売り上げを記録します。(恋愛系ジャンルでこのタイトルの売上を超えるソフトはありません)
更に感情移入してなんぼのジャンルだけにキャラクター人気も凄まじく、ドラマCDやOVAやフィギュア等の関連グッズも飛ぶ様に売れまくって自分の一押しキャラのグッズを身に付けたマニアが秋葉原に溢れ返ります。
遂にグッズの売上だけで100億円を超え、関連商品の売り上げがゲームソフトの売り上げを上回る前代未聞の現象を引き起こします。(コナミも「こなみるく」という グッズ専門店を展開しました)
こうして最後に全く予想しない形で注目を浴びたPCエンジンでしたが、やはり関連ハード全般が高価で元々PCエンジン本体もファミコンより1万円高かった為に「お金持ちが持つゲーム機」という印象が終始ついてまわりました。(と言ってもPC用拡張CD_ROMドライブが20万円以上した当時はそれでも驚異のお値打ち価格でした)
1997年に製造が終了するまでの10年間で本体の販売台数は約400万台とファミコンの約1900万台には遠く及びません。
しかし
・8bitマシンとは思えない描画性能
・市場初のCD_ROM大容量を生かした長編アドベンチャー
・ファミコンが各ゲームのROMカセットにバッテリー機能を内臓させていたのに
対して、複数タイトルのセーブデータを保存出来る専用外部記憶ユニット「天の声2」 発売(ちなみに天の声2の「2」は第2弾という意味では無くメモリ容量が2キロバイトだから)
・ときメモによるギャルゲー市場開拓
等々、販売台数以上に後のゲーム市場に影響を与えました。
■の~みそこねこね、コンパイル
1988年セガがアーケードで発売して日本中で大ヒットとなり、「落ちものパズル」という新ジャンルを開拓したテトリス。
その後、テトリスのシステムを基本にした落ちものパズルが各社から発売され、10月25日にそんな「亜流落ちものパズル」としてコンパイルからディスクシステムとMSX2で「ぷよぷよ」が発売されます。
開発元のコンパイルがフロッピーディスク付きの雑誌「DiskStation」に掲載されたユーザー投稿ゲームを元に別作品のRPG「魔導物語」のキャラを登場させて制作されたもので、発売当初はそれほど注目されませんでした。
しかし業務用とメガドライブで発売されると
・プレイ進行で変化するキャラの可愛さ
・源流のテトリスにはない「連鎖」という概念
・CPU相手にじっくり遊べるゲームの完成度
・一人で遊ぶのが当たり前だったパズルゲームで当時格闘ゲームで盛り上がっていたプレイヤー同士の「対戦モード」
以上の要素により本家テトリスとは全く違う面白さが受けてテトリスと並ぶ大人気となります。
これによってコンパイルは一気に人気メーカーとなり、新入社員を大量採用して規模を拡大、他にもゲーム以外のIT系ソフト開発等、ゲーム以外の分野に事業を拡大して行きます。
もちろん躍進のきっかけになったぷよぷよでは毎年大きな会場で「ぷよマスターズばよえ~んツアー」なる全国大会を開催したり、「ぷよまん」(コンパイル地元広島の銘菓もみじまんじゅうをゲームキャラにしたもの)等のグッズ販売を積極的に展開します。
しかし急速に事業を拡大し過ぎて資金繰りが悪化、ついに1998年に広島地方裁判所へ和議を申請します。負債総額約75億円はゲーム市場始まって以来の経営破綻でした。ちなみに新入社員は
・1年間雑用のみ。仕事は自分で先輩から盗む事
・出退勤時はユニフォーム強制着用
という即戦力という言葉を真っ向から否定する「丁稚制度」で新入早々やる気を無くして辞めて行く人も多く、そうした時代錯誤な方式を咎められる人物もいない社長のワンマン経営だった様です。
和議申請後は大量採用した新入社員の内定取り消しと大規模な社員解雇を実施、多くの人材が業界から去ったり
他のゲーム企業に移籍します。中にはこれを機会に退社した社員が会社を立ち上げ、業界で知名度を得ている企業も多くあります。(スティング、TYPE_MOON、エイティング等)
その後コンパイルは経営再建に失敗して2003年に破産宣告を受けて消滅します。ぷよぷよシリーズの知的財産権は1998年の和議申請時の債務整理でセガに譲渡されている為、以降の新作タイトルはセガブランドの人気パズルシリーズとして発売されています。
■メガドライブ用CD_ROMドライブ
お子様達がクリスマスに未だ品不足のスーパーファミコンをねだる年末商戦、メガドライブの拡張CD_ROMドライブ 「メガCD」 が12月12日に¥49800で発売されます。
しかしメガドライブ発売時と同様、またしても任天堂に
「うちもスーファミ用CD_ROMドライブ出すよ?」
と宣伝され、スーファミ用が出るならとユーザーの買い控えを起こされてしまいます。(任天堂がスーファミ用CD_ROMドライブを発売する気が無いのは前述の通りですが、踊らされます)
しかしたまにはセガにも追い風が吹きます。
イースやソーサリアン等の人気タイトルを持つ日本ファルコムとセガが共同出資して「セガ・ファルコム」という会社を作り、メガドライブとメガCD用にタイトルをリリースする事になったのです。
これでメガドライブはまだ闘える。ドライバー達は喜びに打ち震え、目玉タイトルである「イースⅣ」の発売を心待ちにしていました。しかし彼らに「メガドラ版イースⅣ」をプレイする日は訪れませんでした。
当初このイースⅣはメガCDの他にスーパーファミコン版とPCエンジンスーパーCD_ROM2版の3機種発売が予定されていました。そして93年にスーパーファミコン用とPCエンジンスーパーCD_ROM2用のイースⅣが発売されたのですが、メガCD版のみが発売中止となったのです。
セガの名を冠する子会社が発売した目玉タイトルなのにメガドラ版だけ中止になり、ライバル機種版のみ発売される。そんなライバルメーカーに利益を与えただけの結末は、過去幾多の落胆を味わい、それでも待ち続けて来たメガドライバー達を失意のどん底に叩き落とします。
任天堂の「出すよ?」戦略によるスタートダッシュの失敗を取り戻すかの様に、その後セガはメガCDの廉価版であるメガCD2を¥29800で発売し、更にメガドライブとメガCDが一体となったワンダーメガを¥82800で発売したかと思えば、その廉価版のワンダーメガ2を¥59800で発売します。
マイクミキシングでカラオケ機能があったり、それまでスーパーファミコンのみの特徴だった回転拡大縮小機能も搭載されました。
しまいにはメガドライブとCDラジカセが合体したCSD-GM1(¥45000)という行く所まで行ってしまったゲーム機?まで94年に発売されました。(ちなみにこの年はメガドライブの後継機であるセガサターンが発売された年です)
その後、91年から94年にかけてセガはCD_ROM搭載機をこれでもかと発売して行きますが、売り上げを後押しする程のヒットタイトルに恵まれずにどれも売り上げはさほど伸びませんでした。(CSD-GM1はそれ以前の問題)
そして94年は32bit機と呼ばれる次世代ゲーム機が各社から発売されてユーザーの目は次世代機と当時の最新技術「ポリゴン」に向けられて行きます。
■液晶画面付きのPCエンジン
9月のPCエンジンDUOだけで無く、NECは年末にも本体を発売します。PCエンジンLT(¥99800!)です。ゲーム機としての性能はコアグラフィックスと同等でしたが、当時まだ高価だった4インチ液晶画面とTVチューナーとAV入力が搭載されていました。
液晶画面が付いていて、本体にゲームパッドも装備されていた事から一見携帯型の風貌なのですが、バッテリーを内臓していないので持ち出して遊ぶ事は出来ず、何よりほぼ10万円という小売価格が年末商戦のゲームという範疇を超えていました。(もちろん売れなかったのですが、逆に保有ユーザーの少なさからプレミアが付いて高値で取引されています)
■マリオのペットが主人公のゲーム
スーパーマリオワールドでマリオのペット(乗り物?)として初登場したヨッシーが主人公の落ち物パズル「ヨッシーのたまご」が12月14日に発売されます。
このゲームはゲームフリークが半年間で開発して任天堂のタイトルとして発売した物です。1990年から田尻智氏は「カプセルモンスター」という企画でゲームを制作していましたが、予想よりも開発が進まずに資金面で問題が出始め、任天堂に相談した際に横井軍平氏から
「ワンアイデアでゲームボーイとファミコン両方同時にリリース出来るゲームを作れるか?」
と言われて会社を維持する運転資金を確保する為に一旦カプセルモンスターの開発を止めて制作しました。
クインティ制作時は企業化していなかった為、これが「ゲームフリーク」が会社として初めて開発したタイトル
になります。
このタイトルで当面の運転資金と「企業としてゲーム商品を作った」という自信を得た田尻氏は、カプセルモンスターの開発を再開します。
「1991年に発売された主なゲーム」
・ファイナルファンタジーⅣ スクウェア ¥8,800 144万本
・ゼルダの伝説 神々のトライフォース 任天堂 ¥8,000 116万本
・シムシティー 任天堂 ¥8,000
・スーパーR-TYPE アイレム ¥8,500
・バトルドッジボール バンプレスト ¥9,600
・エリア88 カプコン ¥8,500
・スーパー三國志Ⅱ 光栄 ¥14,800
・超魔界村 カプコン ¥8,500
・悪魔城ドラキュラ コナミ ¥8,800
・レミングス サンソフト ¥8,500
・スーパーファイヤープロレスリング ヒューマン ¥8,500
・SDガンダム外伝 ナイトガンダム物語 エンジェル ¥9,500
・スーパー信長の野望・武将風雲録 光栄 ¥11,800
・シムアース イマジニア ¥9,600
※セガの看板キャラ 『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』 がメガドライブ発売
※『スーパーロボット大戦』 シリーズ第一弾がゲームボーイで発売
1991年(平成3年)の主な出来事 (大卒初任給179400円)
『一般』
・東京都庁が丸の内から新宿副都心に移転
・横綱千代の富士引退
・ドラマ 『東京ラブストーリー』 大ヒット
(主題歌 「ラブストーリーは突然に」 も大ヒット)
・ジュリアナ東京オープン
・アイドルグループ 「SMAP」 デビュー
・雲仙普賢岳で大規模火砕流が発生、報道陣を含む34人が犠牲に
・広島市の新交通システム建設現場で約60トンの鉄の柱が信号待ちの車列に落下、14人が死亡
・滋賀県の信楽高原鉄道で信楽高原鉄道列車とJR臨時快速列車が正面衝突。死者42人負傷者478人
『ゲーム業界』
・「月刊ファミコン通信」 が週刊化
・セガの看板キャラとなる 「ソニック・ヘッジホッグ」 発売
『ヒット曲』
・愛は勝つ、SAY_YES、はじまりはいつも雨、どんなときも
ラブストーリーは突然に、しゃぼん
『流行語』
・僕は死にましぇん、損失補填、バツイチ、ヘアヌード
『テレビ番組』
・新世紀GPXサイバーフォーミュラ ・きんぎょ注意報! ・少年アシベ
・ドラゴンクエストダイの大冒険 ・絶対無敵ライジンオー ・ドミニオン
・太陽の勇者ファイバード ・ゲッターロボ號 ・機動戦士ガンダムF91
・おにいさまへ・・・ ・炎の闘球児ドッジ弾平 ・トラップ一家物語
・鳥人戦隊ジェットマン ・101回目のプロポーズ
・東京ラブストーリー ・たけし、逸見の平成教育委員会
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