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TVゲーム今昔
1989年(昭和64年)ゲーム&ウォッチの再来
・2/21 シャープからファミコンタイトラー発売
・4/21 携帯型TVゲーム機ゲームボーイ発売(ロンチ:マリオランド)
・7/27 ファミコンでMOTHER
・8/3 メガドラで大魔界村
・11/20 ATARIからリンクス発売
・11/22 NECからPCエンジンシャトル
・11/30 NECからPCエンジンスーパーグラフィクス
・12/8 NECからPCエンジンコアグラフィックス
・12/25 GameBoyで魔界塔士SaGa
「ヒットタイトル」
・ファミコンジャンプ 110万本
・テトリス 424万本
・マリオランド 419万本
・魔界塔士Sa・Ga 110万本
■ファミコンと編集マシンの合体
ファミコン一体型TV、ファミコンとディスクシステムを合体させたツインファミコンに続き、シャープが任天堂の許諾を得てファミコンにビデオ編集機能を持たせた互換機 「ファミコンタイトラー」 を2/21に¥43,000で発売します。(編集ファミコンとも呼ばれています)編集機能でビデオ画像とゲーム画面を合成出来るのが売りでしたが
・高価格
・ビデオ編集機能とファミコン機能を望むユーザー層が一致しない
・2年後にスーパーファミコンが発売された
以上の点からあまり知られる事のないハードとして消えて行きます。(しかし全ファミコン機で唯一S端子を備えており、最も高画質でファミコンを楽しめる事からマニアの間では高値で取引されています)
■ゲーム&ウォッチの後継機
セガがメガドライブ版テトリスで「残念なメーカー」という印象をユーザーに与えてしまった一方で、任天堂はエローグ社から家庭用テトリスの正式な許諾を得た唯一の企業としてファミコン版テトリスの販売を継続します。
更にメガドライブ版テトリス発売予定だった89年4月にゲーム&ウォッチの次世代携帯ゲーム機「ゲームボーイ」を発売すると、ここでもキラーソフトとして89年6月にゲームボーイ版テトリスを発売します。
するとゲームボーイ本体同時発売だったスーパーマリオランドの419万本を超える425万本以上という大ヒットとなり、ゲームボーイの普及に大きく貢献します。(結局このテトリスがゲームボーイ全タイトル中売上No.1でした。そしてメガドライブ版が中止になった直後の躍進だっただけにその光景は事情を知らない大多数のセガファンの怒りを増幅させました)
しかしそんなゲームボーイも発売までの道のりは決して順調ではありませんでした。
開発を任された横井氏にはまずコストの問題がのしかかります。仕様はファミコンと変わらないカセット交換式で、ファミコンには必要なかった液晶モニタも付けてファミコン以下という価格。一番コストの掛かる液晶モニタに関しては先代のゲーム&ウォッチと同様にシャープと共同開発を行い、シャープはゲームボーイ用液晶の開発用に40億円を掛けて工場を建設します。
しかし工場建設が始まった後になって横井氏の確認不足が発覚。先代のゲーム&ウォッチは操作ボタンと液晶画面がほぼ横一列でしたがゲームボーイの液晶は操作ボタンより上にある為に見る角度が変わる事を想定していなかったのです。当時の視野角が狭い液晶ではゲーム&ウォッチと同じ様に開発したのでは見えなくなってしまう。しかしすでにシャープは工場を建設している。シャープの工場が無駄になりかねない事態に横井氏は顔面蒼白になったそうです。
しかしいくつか他の液晶を試した結果、使えそうな液晶が偶然見つかって横井氏は藁にもすがる思いでその液晶を採用、山内社長の許可も得られた事で九死に一生を得ます。
他にも消費電力の点から当時技術的に実現可能だったカラー化をやめて4諧調のモノクロ液晶にした事や、外人は充電してまでゲームをやらないという判断から電源を専用充電池でなく世界共通規格の乾電池にして発展途上国への普及を図る等の工夫が考えられていました。
結果として全世界で1億台以上を売り上げて2005年まで世界で最も売れたゲーム機となり、一時的なブームで終わったゲーム&ウオッチと違ってその後もGBカラー、GBアドバンス、GBmicro、ニンテンドーDSと携帯ゲーム機を完全な1ジャンルとして市場に定着させたゲーム機としてゲーム史上外せないゲーム機です。
■コピーライターと任天堂の合作RPG
7月、コピーライターの糸井重里氏がプロデュースしたRPG「MOTHER」が発売されます。ドラゴンクエストを夢中になってプレイした糸井氏が
「大の大人を夢中にして感動させるTVゲームを自分でも作りたい」
と企画書を任天堂の持ち込んだのが始まりで、MOTHER発売後も業界外の発想を取り入れたいという任天堂の思惑と幅広い人脈を持つ糸井氏の意見が合致して糸井氏と任天堂の出資でエイプという企画会社が設立されました。
ちなみにこのMOTHERというゲームですが、RPGといえば
「戦士や魔法使いやエルフやドワーフが剣と魔法と弓と斧を武器に地下迷宮や塔を冒険し、途中さらわれたお姫さまを助けつつ迷宮の最深部や塔の最上階にいる何も悪い事していないドラゴンをドラゴンというだけでパーティ全員でたこ殴りにして財宝と勇者の称号ゲット」
というゲームが多かった当時、糸井氏はそうしたRPGの歴史そのままを「RPGを作る理由」にしないで、親子関係を重視したRPGを作りたいという「自分がRPGを作りたい理由」を芯に据えて現代を舞台にしたRPGを考えます。
実際に糸井氏は自分の子供と離れて暮らしていて、「離れて暮らしていてもお父さんは君の事を思っているよ」という自分の子供へのメッセージを込めたと言われています。その為ゲーム中でも
・主人公のお父さんは常に主人公と離れた場所にいて姿を見せない
・戦闘で倒した敵の分だけお父さんが銀行口座にお金を振り込んでくれて主人公が引き出して使う
・実際の時間で1時間遊んだ時は「そろそろ休憩すれば?」とお父さんから電話が掛かって来る
・セーブして中断する時は必ずお父さんに電話をする
・・・・・・とゲーム中にお父さんが色々お世話をする仕様になっています。何百万本と大ヒットしたタイトルではありませんが、RPGで現代(アメリカの田舎町)を舞台にした珍しさと憎めないキャラクター、そしてゲーム中で重要な要素となる歌。
そしてコピーライターである糸井氏の操る言葉とその思いが感じられるどこかやさしい雰囲気で今も多くの人に支持を受けています。
■セガの看板タイトルの原型
糸井氏のMOTHER発売の1週間後、メガドライブからアーケードでヒットしたカプコンの「大魔界村」が移植、発売されます。
これはアーケードで起伏に富んだ地形を軽快に進む主人公の動きを見て感銘を受けたセガの中裕司氏がカプコンに移植を願い出て自ら移植を担当、発売が実現したものです。
それから2年後、この移植で中氏が身に付けたスクロール技術を応用して高速スクロールを売りにしたソフトが看板タイトルとしてセガ人気を一気に押し上げる事になります。
■世界初のカラー携帯ゲーム機
ゲームボーイが発売されたこの年、年末商戦の前哨戦と言える11月20日にアメリカ生まれの世界初のカラー画面を搭載した携帯ゲーム機 「リンクス」 が発売されます(日本では¥29800)。発売元はアタリショック後にアタリの家庭用ゲーム機とパソコン部門が独立・分社化したアタリコープ社です。
カラー画面だけでなくハードウェアでスプライト拡大縮小機能を搭載、通信ケーブルを使って8人まで同時にゲームに参加出来る機能をサポートする等、携帯機とは思えない驚異的な機能でした。
リンクスは元々アメリカのEpyx社が開発したマシンでしたが経営不振に陥り、自社で生産販売出来なくなった為に協力企業を探してアタリコープが名乗りを上げます。(協力企業リストに任天堂の名もありましたが、本体サイズ・駆動時間・希望小売価格の面から協力を断っています)
肝心の売り上げですが、同年発売のゲームボーイに性能で遥かに勝るものの任天堂が協力を断る要因として挙げたサイズ・駆動・価格全ての面で劣ったのが響きます。
更にマリオやテトリスといった強力なタイトルによって全世界でゲームボーイが爆発的ヒットとなった事で惨敗が決定します。(翌年の1990年にセガから発売されたゲームギアにより唯一のカラー携帯ゲーム機という特徴も無くなります)
■NEC陣営の年末攻勢
年末商戦に差し掛かる頃、まずPCエンジンを擁するNECが従来のPCエンジンをリニューアルして廉価版・通常版・マニア向けの3機種を発売します。
「廉価版:PCエンジンシャトル 11月22日発売 ¥18800」
CD_ROM2と接続する拡張端子を除いて低年齢層を狙ったHuCardのみ使用可能な廉価版として発売されます。
低年齢層狙いで本体形状は宇宙船をイメージした流線型でしたが、当時発売から2年近く経った通常版がほぼ同額で買え、更にコスト削減の為に削った拡張性の無さが不評で宇宙船どころか「カブトガニ」と揶揄され瞬く間に市場から姿を消します。
ただ、あまりの売れなさっぷりから所持ユーザーが少なく、中古市場では逆に希少価値が付いてそこそこのプレミア価格で取引されています。
「一般向け:PCエンジンコアグラフィックス 12月8日発売 ¥24800」
性能は従来機と同じですが、出力端子をRFからAVに変更して操作パッドのⅠ・Ⅱボタンに連射機能が付きました。が正直それ以外の変更点は無く、AV端子と連射機能の追加だけでは続々と人気タイトルがリリースされる
スーパーファミコンからユーザーの目を向けさせる事は出来ませんでした。
「マニア向け:PCエンジンスーパーグラフィクス 11月30日発売 ¥39800」
PCエンジンリニューアル戦略の上位機種版。PCエンジンの描画チップを2つ搭載して背景とスプライトの最大描画数を2倍にしてメモリも増量と描画機能を向上しました。(車のエンジンをイメージした本体サイズは従来の3倍になりました)
本体の性能を活かすには専用のソフトが必要ですが、肝心の専用ソフトが5本と少なく性能を発揮する場がないままあっという間に姿を消します。
■ゲームボーイ初のRPG
ゲームボーイ初のRPGとなる「魔界塔士Sa・Ga」がクリスマスにスクウェアから発売、ミリオンヒットとなります。
そして「ゲームボーイでも本格的なRPGが作れる」このヒットを見て次回タイトルの企画を考えるクリエイターがいました。1983年にゼビウス攻略サークルとして名を馳せた後にクインティというファミコンソフトを開発し、その売上を元に企業化した「ゲームフリーク」代表の田尻智氏です。
ゲームボーイには別売の通信ケーブルを繋いでもう1方とデータをやりとり出来る通信機能があり、テトリス等はこの機能を使った対戦プレイの面白さが売上に大きく貢献していました。
「そんなにコストに影響しないしとりあえずつけとこう」
くらいのノリで付けられたと言われるこの通信機能ですが、田尻氏はこの通信ケーブルに着目し、対戦プレイ以外の方法(データの交換)で活用出来ないかと考えていたのです。
そんな時に「魔界塔士Sa・Ga」のヒットを見て、ゲームボーイでRPGが作れるならとRPGでセーブデータを「交換」する事を思いつきます。
田尻氏はそのゲームのタイトルを「カプセルモンスター」と名づけて売り込み先を探します。
1989年の主な出来事 (大卒初任給 約160,900円)
『一般』
・1月7日昭和天皇崩御 (8日にかけてTV全チャンネル番組中止で苦情殺到)
・漫画の神様と言われた手塚治虫死去
・東証日経平均株価が史上最高値を記録 (当時38957円。2010年は約1万円)
・消費税スタート (スタート時の税率は3%)
・ルーマニア政権崩壊、大統領の銃殺処刑映像がテレビ放送される
・東西ドイツ統合(ベルリンの壁崩壊)
・連続幼女誘拐殺人事件で宮崎勤を逮捕
・女子高生コンクリート詰め殺人事件。犯人は16~18歳の少年グループ
・民主化を要求して北京の天安門広場で座り込んでいた学生や市民に対して当局が弾圧に乗り出し戦車や銃で約3万人を虐殺(天安門事件:当局は否定)
『ゲーム業界』
・任天堂から「ゲームボーイ」発売。携帯ゲームというジャンルを開拓、ひげを外に持ち出せる時代に
・ファミコン「MOTHER」発売。コピーライター糸井重里プロデュースが話題に
・PCエンジンからCD-ROM媒体で世界初のRPG「天外魔境ZIRIA」発売
『ヒット曲』
・寂しい熱帯魚、川の流れのように、とんぼ、Diamonds、世界でいちばん熱い夏
『流行語』
・セクハラ、24時間たたかえますか、お局様、ぬれ落ち葉、Xデー、ほたる族
『テレビ・アニメ』
・魔動王グランゾート ・らんま1/2 ・ドラゴンボールZ
・機動警察パトレイバー ・YAWARA! ・ミラクルジャイアンツ童夢くん
・おぼっちゃまくん ・ダッシュ四駆郎 ・アニメ版ドラゴンクエスト
・天空戦記シュラト ・笑うせえるすまん ・ターボレンジャー
・スワンの涙 ・機動刑事ジバン
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