
TVゲーム今昔
1988年(昭和63年):16BITマシン登場
・2/10 ドラクエⅢ
・7/15 ベストプレープロ野球
・10/23 スーパーマリオⅢ
・10/29 メガドライブ
・10/29 メガドラでスペースハリアー2
・10/29 メガドラでスーパーサンダーブレード
・12/4 PCエンジンCD_ROM2
・12/17 FF2
・12/22 FCテトリス181万本
『ヒット』
・ファミスタ88年度版 109万本
・ドラクエⅢ 377万本
・スーパーマリオⅢ 384万本
■セガから4代目のゲーム機が登場
10月にセガから業界初の16BITマシン「メガドライブ」(¥21000) が発売されます。
発売から5年が経ってさすがに性能面で厳しさが見えて来たファミコンに突きつけるかの様に本体に輝く金色の 「16-BIT」 の文字。
SG-1000(1983) → SG-1000Ⅱ(1984) → セガマークⅢ(1985) → セガマスターシステム(1987)
とこれまで家庭用TVゲーム機を発売して来たセガにとって4代目となるこのメガドライブはこれまでセガが発売してきたゲーム機とは大きく異なる特徴がありました。サードパーティ制の導入によりセガ以外のゲームメーカーからソフトが発売された事です。(マスターシステムでサリオというメーカーがソフトを発売していましたが明確にサードパーティ制を採用したのはこのメガドライブからです)
しかしNECのPCエンジンが本体発売と同時にナムコとハドソンという強力過ぎるサードパーティでタイトルを揃えたのに対して、メガドライブは本体同時発売のサードパーティ製ソフトを揃える事が出来ずに翌89年も発売タイトル全21本中サード製は4本でした。なぜそんなに他社はメガドラ参入を渋ったのか。それはメガドライブ発売時に任天堂が
「ウチも16Bitゲーム機出すよ?」
と 「まだ見ぬ次世代ファミコン」 をちらつかせて他ゲームメーカーのメガドライブ参入への躊躇とユーザーの買い控えを起こす事に成功したからです。形として実機等を見せた訳でもなく、一言宣言しただけで他メーカーの開発スケジュールを操作してしまう。ファミコンというブランドが当時のゲーム市場でいかに絶対的な存在だったかが分かります。(しかも発表時は先代のファミコンソフトも遊べるという触れ込みでした)
「次世代ファミコンが発表されてもメガドライブが欲しい!!」
と思わせるだけのキラーソフトがあれば良かったのですが残念ながらそんなタイトルはありませんでした。しかしそのキラーソフトがセガの業務用タイトルから現れます。サラリーマンが100円玉を積み上げてやり込む光景が全国各地のゲームセンターで見られ、「落ちものパズル」という新ジャンルを生んだ「テトリス」です。
セガはメガドライブ序盤の劣勢を覆し、次世代ファミコンが世に出る前に家庭用市場を制圧する切り込み隊長としてテトリスのメガドライブ移植を発表、巻き返しを図ります。
順調にメガドライブ版テトリスは完成して量産も完了、後は発売するだけの状況からなんとセガは発売を断念したのです。なぜそんな事になったのか?直接の原因は
「任天堂が版権を理由に販売差し止めを要求した」
のが認められたからなのですが、その経緯はあまりに複雑でした。
■テトリス事件
「当時のテトリス販売許諾の流れ」
テトリスはソ連で開発されたゲームなので版権は国務機関のアカデミーソフトが所持。
↓
アカデミーソフトがライセンス管理業務をエローグというソ連の貿易窓口企業に委託
↓
ハンガリーのアンドロメダソフト社がエローグに許諾を申請
↓
却下され続けたがどうにかPC版テトリスのライセンスをもらう
↓
イギリスのミラーソフト社がアンドロメダソフト社に家庭用・業務用テトリスのサブライセンス許諾を申請
↓
アンドロメダソフトはエローグ社からPC版テトリスしか許諾されていないのに、ミラー社に家庭用・業務用両方のライセンスを出してしまう(これが悲劇のはじまり)
↓
アメリカのアタリゲームズ社とその子会社のテンゲン社がミラー社に家庭用・業務用テトリスのサブライセンス許諾を申請してサブライセンス取得
↓
日本のセガ社とBPS社がテンゲン社に家庭用・業務用テトリスのサブライセンス許諾を申請、サブライセンス取得(88年12月にBPSはファミコン版テトリスを発売)
↓
89年にゲームボーイ発売を控えた任天堂が携帯ゲーム版テトリスのライセンスをアンドロメダソフトに申請するものの全く許諾が得られず(この時点でアンドロメダ社も事の重大さに気づいてエローグ社に家庭用・業務用テトリスのライセンスを申請中だったので当然)
↓
らちがあかないと判断した任天堂は直接エローグ社に出向いてBPS社製のファミコン版テトリスを見せつつ携帯ゲーム版の許諾を申請
↓
ライセンスを出した覚えの無い家庭用テトリスの存在にエローグ社が驚愕・激怒してアンドロメダ社から一切のライセンスを剥奪
↓
改めて任天堂がエローグ社から正式な家庭用テトリスのライセンスを受ける
…という経緯で家庭用テトリスの正式許諾は任天堂のみが持つ事となり、自身の許諾が無意味と悟ったセガは発売を中止したのです。(BPSは改めて任天堂から家庭用ライセンスを取り直してファミコン版テトリスを継続して販売しました)
この件に関してはセガがもっとちゃんと大本の許諾を調べていれば回避出来たかもしれません。しかし何世代も前の許諾を出した企業がまさかウソっぱちだったなんて普通は思わないでしょうし、その点は不運だったとも言えます。とにかくセガはメガドライブ版テトリスの発売を中止して倉庫に保管されていた在庫を全て処分する道を選択します。
上記の経緯を経てセガは大き過ぎるキラータイトルを逃がすのですが、この事件はセガを愛してやまないセガマニア(メガドライバー)達の任天堂嫌いを一気に加速させました。事の経緯を知っていれば
「任天堂は正式な手順を踏んで真っ当な主張をしただけでセガがうっかり屋さんだった」
と分かるのですが、インターネットも普及していない当時にそんな複雑な裏事情を正確にユーザーが把握出来るはずもなく、初代のSG1000からセガハードを買い続けて勝手に任天堂をライバル視して来た生粋のセガマニア達から見れば
「ゲーム機市場の覇権を握った任天堂が何か汚い手を使ってメガドライブ版テトリスを闇に葬った」
という印象しか与えなかったのです。事情が判明している現在でもセガマニア達は「もしあの時メガドライブでテトリスが発売されていれば……携帯機でもゲームボーイでなくゲームギアで発売されていれば……クッ」
と正論では割り切れない 「if」 な思いを今でも同志と共に熱く(自分の周りでは)語り合っています。
■携帯ゲーム機でも大ブーム
セガがメガドライブ版テトリスで 「残念なメーカー」 という印象をユーザーに与えてしまった一方で、任天堂はエローグ社から家庭用テトリスの正式な許諾を得た唯一の企業としてファミコン版テトリスの販売を継続します。
更にメガドライブ版テトリス発売予定だった89年4月にゲーム&ウォッチの後継携帯ゲーム機 「ゲームボーイ」 を発売すると、ここでもキラーソフトとして89年6月にゲームボーイ版テトリスを発売します。
するとゲームボーイ本体同時発売だったスーパーマリオランドの419万本を超える425万本以上という大ヒットとなり、ゲームボーイの普及に大きく貢献します。(結局このテトリスがゲームボーイ売上No.1タイトルでした。メガドライブ版が中止になった直後のこの大ヒットは事情を知らないセガマニア達の怒りを増幅させました)
■その後のメガドライブ
テトリスの痛い失敗後、メガドライブにはサードパーティにタイトー・ナムコ・コナミ・日本ファルコム等が参入、他社タイトルが増え始め、ようやくメガドライバー達が望んだ環境が整って来ます。しかし良作もあるにはあるのですが、なぜかサードパーティ各社の看板タイトルはあまり発売されませんでした。
そして90年11月、出る出る詐欺を繰り返して来た任天堂がついに「スーパーファミコン」を発売します。そしてラインナップには各サードパーティの看板タイトルがずらり。各ゲームメーカーは発売されてもいないスーパーファミコンが市場の覇権を握るだろうと予測し、メガドライブに積極的に主力タイトルを投入しなかったのです。
その予想通りスーパーファミコンは先代から1万円UPの¥25000という定価にも関わらず、発売と同時に売り切れが続出します。更にファミコン時代のRPGブームを牽引し、PCエンジンやメガドライブには全く参入の声を上げなかったドラクエのエニックスとFFのスクウェアというRPG2大巨頭がスーパーファミコンへの参入を発表した事で、ファミコンに続いて任天堂が家庭用市場の覇権を握る事が決定的となります。
■2つの32bitマシンとセガ終焉の序曲
そして、セガもついにメガドラの後継機となる32bitマシン「セガサターン」 を11月22日に発売します。(セガサターンについては94年で後述)
後継機が発売されてメガドライブも普通はこれでお役御免となるはずですが、なんとセガはサターンを発売した後の12月3日にメガドライブを32bitマシンにする拡張ユニット「スーパー32X」を発売したのです。(しかも12月3日はあのプレイステーションの発売日というおまけ付きです)
しかし、すでにセガサターンという次世代機を発売したのになぜセガはメガドライブを引っ張ろうとしたのでしょう?
以前、メガドライブはソニックのおかげで海外ではスーファミと互角以上に渡り合った話をしたと思います。
つまり海外では日本とは比較にならない程に、そして簡単にサターンに移行出来ない程にメガドライブ市場が拡大していたのです。(ちなみに海外版メガドライブはジェネシスと言う名前で約2000万台売れていました)
ライバル社が32bitマシンを出して来たからと言ってサターンがメガドラ以上に海外で普及する保障はありません。「それならここまで広がった海外版メガドラ市場を有効に活用する手段はないのか?」とセガ北米支社 「Sega of America」 が提案して来た訳です。その結果日本ではセガサターンを、海外ではスーパー32Xを主軸として32bit市場に挑む事になったのです。
もちろん国内でも32Xは発売されましたが、そもそも日本ではメガドライブが売れていません。更に16bitマシンで無理矢理32bit処理を実現しているので性能面でもライバル社の純正32bitマシンとは勝負にならず
「¥16800も出して32X買うならサターン買うよ」
とばかりに日本では初めから無視された格好でした。(コアなメガドライバー達はもちろん無条件買い)予想以上の32Xの売れなさっぷりと予想以上のセガサターンの普及速度を受け、日本のセガ本社は32X発売から1年も経たずに32Xを含めたサターン以前のハード生産終了を発表してしまいます。
一方、メガドライブがスーファミを抑える程の北米市場で32Xは50万台を売り上げます。更に海外だけの 「メガドライブ+32X」の一体型マシン「Sega Neptune」まで開発していました。
しかしこの頃すでに海外ユーザーの耳にも日本のプレステやサターン等の次世代機情報が届いており、もう持っているメガドラはまだしも「Sega Neptune」に興味を持つ海外ユーザーはいませんでした。その為北米セガも急遽予定を変更して32Xの販売を切り上げて今まで「Sega Neptune」を売る為に発売を遅らせて来たセガサターンを急遽市場に投入します。
それも当初95年9月とされて来た発売を5月に発売すると発表してしまったのです。このあまりにユーザーとサードパーティを無視した北米セガの販売方針が引き金となり、セガと全てのメガドライバー達に本当の悲劇が訪れます。
まずサターン発売を急遽早めた事で、9月発売のつもりでゲームを制作していたサードパーティの不満が高まります。それに急遽32Xの販売も縮小した訳ですから、32X用ゲームを作っていたメーカーも開発プラットフォームを32Xからサターンに変更させられてこれまた不満を募らせます。
そしてサターンやプレステで遊んで32bitゲーム機の真の性能を実感したユーザーからも「32Xなんて全然32bit性能じゃないじゃないか」 と反感を買ってしまいます。
こうしてメガドラからサターンへの移行に大失敗してサードパーティとユーザーがセガに対して不信感を募らせた絶好のタイミングで日本のセガ本社からサターンより前のゲーム機製造中止の知らせが届いたのです。クリスマス商戦で50万台とそこそこヒットと言って良い売り上げを残した32Xが発売から1年も経たずに販売中止。
ユーザーを裏切ったと言われても仕方ないこの対応がとどめとなって北米市場で任天堂と肩を並べていたセガのブランドイメージは失墜。後継のサターンもろとも見向きもされなくなってしまったのです。(その後市場は当然プレステ一色になります)
ちなみにもう1つの海外主要市場である欧州でも日本本社が推すサターンと北米支社が推す32Xという方針の異なる販売戦略が混乱を招き、同じセガなのにサターンと32Xでシェアを奪い合うという意味不明な展開から共倒れになり、これまたプレステにシェアを奪われて行きます。
日本ではメガドライブが売れていなかった事が幸いして比較的スムーズにサターンが普及してプレステと覇権争いを繰り広げますが、海外市場ではソニックで得た勢力を全て失い、業界初参入のソニーが発売したプレイステーションに市場を明け渡す事になります。
一時は任天堂に勝つという奇跡を起こした代わりに次世代のサターンも巻き込んでセガの海外シェアを消滅させるという到底釣り合わない結末でメガドライブの歴史は終わります。
しかし規模は小さいながらブラジル等の南米市場では2010年にメガドライブ4が発売されて現在でも立派に現役ハードとして活躍していたりと、良くも悪くも世界で一番有名なセガハードです。
※結局発売される事のなかった幻のハード 「Sega Neptune」 ですが、ぷよぷよ等のヒット作を持つメーカー 「コンパイル」 の後継企業であり日本セガの下請けだった 「コンパイルハート」 が2009年に制作したタイトル 「超次元ゲイム ネプテュ-ヌ」 というソフトのモチーフとして少し名前を変えて市場に足跡を残しています。
■3作目は社会現象へ
昨年「Ⅱ」で行列必至の大人気ソフトとなったドラクエが3年連続となる「Ⅲ」(そして伝説へ)を発売します。
一刻も早く世界を救おうと発売日には勇者達が徹夜で行列を作り、その様子や関連ニュースが1日中TVで流れて単なるブームを超えた社会現象として普段ゲームをやらない人達にも名前を知られる存在になりました。
「ドラゴンクエストⅢが残した伝説」
■2月10日という発売日が入試直前の受験生に「かいしんのいちげき」 (そして浪人へ)
■発売日の○ッグ、○ドバシ、○くらや等の大手量販店には史上類を見ない大行列が発生、
新宿では1万人の勇者達が徹夜で5Kmの行列を作った
■一刻も早く世界の危機を救いたいという熱い正義の心を抑えきれない全国の未成年勇者達が涙を飲んで
学校を自主休校して徹夜の行列バトルに集結
■しかし全国で500人以上の未成年勇者達が警察に補導、違う伝説を達成する
■深夜の行列に何かを感じた某○ッテリアが急遽店を開けて勇者達に食料を販売
(当時はまだコンビニも少なく売り上げもすさまじい事に)
■窃盗や恐喝事件が多発し、ゲームを買った帰り道で不良とエンカウントして画面も見られずに
バッドエンドになる勇者が続出
■一部の小売店が単体では絶対に売れない○○ゲーと抱き合わせ販売
■週刊誌 『FLASH』 がエンディング画面を掲載、著作権侵害で告訴される
■兄弟でどちらが先にプレイするかで喧嘩になり、負けた方が腹いせに家に放火して自宅が全焼
そしてドラクエほどでないながらも徐々に人気となっていたFFも「Ⅱ」を発売、「ドラクエのまね」ではなく 「FF」としての評価が高まっていきます。
1988年の主な出来事 (大卒初任給 ¥153,100)
『一般』
・リクルート事件で政財界に激震
・青函トンネル開通
・瀬戸大橋開通
・プロ野球史上最強の助っ人外人、阪神のバースが解雇 (後に球団社長自殺)
・ダイエーが球団を買収、ダイエーホークス誕生
・東京ディズニーランドに5555万5555人目の客が来場
・パソコン通信で国内初のコンピュータウィルスが発見
『ゲーム業界』
・ファミコン「ドラゴンクエストⅢ」発売。徹夜の大行列が一日中テレビ生中継
・セガが「メガドライブ」発売。本体に輝く16Bitの文字。セガ初のサードパーティ制
・(有名人)齋藤彩夏、井口裕香、長谷川静香、伊瀬茉莉也、松本彩乃
『ヒット曲』
・パラダイス銀河、MUGO・ん…色っぽい
『流行語』
・ペレストロイカ、ビールドライ戦争
『テレビ・アニメ』
・魔神英雄伝ワタル ・美味しんぼ ・それいけ!アンパンマン
・キテレツ大百科 ・魁!男塾 ・鎧伝サムライトルーパー
・What’s マイケル ・鉄拳チンミ ・名門!第三野球部
・おそ松くん ・超音戦士ボーグマン ・シティーハンター2