
TVゲーム今昔
1973年(昭和48年):日本初の商用TVゲーム
それはこの年7月に業務用で発売された「タイトー」という会社が制作した「エレポン」 と「セガ」という会社が制作した 「ポントロン」 という2タイトルが言われて日本初と言われています。ゲーム内容はどちらもアメリカのアタリという会社が1972年に発売して大ヒットとなった業務用TVゲーム「PONG(ポン)」をそっくり真似たものでした。
それまでエレメカと遊園施設が主力分野だったアミューズメント業界においてTVゲームは新たな商用遊戯機器として、同年9月に開催された「第12回アミューズメントマシンショー」(AMショー)にも紹介されました。
※エレメカ
エレクトロニクスとメカトロニクスから産み出された造語「エレクトロメカニカルマシン(Electromechanical Machine)」の略。アーケードゲームの中で特にビデオゲームとメダルゲーム、ピンボールを除くものを指す。日本以外の地域ではエレメカとテレビゲームを区別することなく「アーケードゲーム」と分類している。もぐらたたきやエアホッケー等が有名。
しかし国産第一号が誕生したばかりのこの時点では、将来TVゲームが日本の娯楽産業の一角に成長する事を予想出来た業者はほとんどいなかったそうです。
突然ですが1970年頃にボーリングブームが起きます。大人達がボーリングに夢中だった当時、子供向けに「光線銃SP」というおもちゃが発売され大ヒットします。このおもちゃ光線銃を発売したのはそれまで花札やトランプ等のアナログ遊具メーカーとして有名だった 「任天堂」 でした。
任天堂はブームが過ぎ去って次々と閉店するボーリング場の有効利用として、この1973年から光線銃のノウハウを活かしたレジャー施設「レーザークレー」を展開して一躍人気スポットとなります。
しかし不運にもこの年「オイルショック(石油危機)」と呼ばれる世界規模の不況が発生し、結果として任天堂は大きな負債を抱えてしまいます。しかし短い間でも人気スポットとなった事で任天堂社長の山内溥(やまうちひろし)氏は「電子技術の娯楽は子供だけでなく大人達の娯楽としても通用する」と判断してその後はこれまでのアナログ遊具だけでなく様々な電子技術系遊具の開発に取り組んで行きます。そして任天堂がこの方針を掲げてから10年後の1983年、日本だけでなく世界中の人々に愛されるTVゲーム機が誕生する事になります。
■1973年の主な出来事(大卒初任給 約57,000円)
『主要ニュース・事件事故』
・株式会社コナミ
・セブンイレブン設立
・国民の祝祭日で振替休日制実施
・巨人が阪神を下してV9を達成(試合後阪神ファンが巨人選手に暴行)
・プロ野球のヤクルトがチーム名を 「アトムズ」 から 「スワローズ」 に変更
・ボクシング世界王者大場政夫が5度目の防衛成功後に交通事故、23歳で死亡
・武道家、映画俳優のブルース・リー死去
・北海道登別温泉の熊牧場で燃料不足から熊55頭を射殺
・フジテレビの子供向け番組 「ひらけ!ポンキッキ」 放送開始
・オイルショックで主婦がトイレットペーパー売り場に殺到
・韓国「新民党」の大統領候補 「金大中」 が東京九段のホテルから誘拐される
・対台所生物決戦兵器 「ゴキブリホイホイ」 発売。こうかはばつぐんだ!
『ヒット曲』
・狙い撃ち、ジョニーへの伝言、夢の中へ、心の旅、てんとう虫のサンバ、
神田川、あなた、5番街のマリーへ、青い果実、母に捧げるバラード
『流行語』
・うちのカミさんがね、省エネ、ちょっとだけよ、あんたも好きねぇ
『この年に生まれた有名人』
・宮沢りえ、イチロー、青木さやか、ロベルト・カルロス、みずしな孝之、大泉洋
・丹下桜、サエキトモ、金田朋子、かかずゆみ、中川亜紀子
『漫画』
・愛と誠(原作:梶原一騎、画:ながやす巧)「週刊少年マガジン」
・エースをねらえ(山本鈴美香)「週刊マーガレット」
・あぶさん(水島新司)「ビッグコミック・オリジナル」
・はだしのゲン(中沢啓治)「週刊少年ジャンプ」
・包丁人味平(原作:牛次郎、画:ビッグ錠)「週刊少年ジャンプ」
・釣り吉三平(矢口高雄)「週刊少年マガジン」
・おれは鉄平(ちばてつや)「週刊少年マガジン」
・うしろの百太郎(つのだじろう)「週刊少年マガジン」
・ブラックジャック(手塚治虫)「週刊少年チャンピオン」
『TV・映画』
バビル二世 ドラえもん 空手バカ一代 燃えよドラゴン
キューティーハニー エースをねらえ! 仁義なき戦い 日本沈没
ウルトラマンタロウ 侍ジャイアンツ 仮面ライダーV3 子連れ狼