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1950年代:娯楽産業の誕生

 

業務用TVゲームの話を進める前に日本の娯楽産業の発生について簡単にまとめます。発生は1950年代と言われ、対象は日本人ではなく駐留米軍向けだったそうです。と言っても戦後間もない日本に娯楽機器を作る資材もノウハウも無いので、アメリカから娯楽機器を輸入・販売する会社がまず設立されます。

 

「1951年」
■レメヤー&スチュアート 創設者:レイモンド・レメヤー、リチャード・スチュアート
■ローゼン・エンタープライズ 創設者:デイビッド・ローゼン

 

「1953年」
■太東貿易 創設者:ミハエル・コーガン

 

「1955年」
■中村製作所 創設者:中村雅哉

 

当時まだアメリカでも「業務用のTVゲーム」は無く、娯楽機器と言えば ピンボールやジュークボックス 等が主流だったようです。

そんな中、アメリカのジュークボックス大手メーカーサービス・ゲームス」が輸入に頼らず日本国内でジュークボックスを製造する「サービス・ゲームスジャパン」を設立、1960年に国産初のジュークボックスとなる「SeGa1000」を発売します。

 

そして1965年にこの企業と「ローゼン・エンタープライズ」が合併して「セガ・エンタープライゼス」が誕生します。

国内に音響機器が充実し始めてジュークボックスの需要が縮小する中、セガは翌年1966年に国産初のエレメカ「ペリスコープ」(潜望鏡)を発売してアメリカにも輸出されるほどの大ヒットとなります。

 

その後、国産初のTVゲームが誕生する1973年から1970年代後半まで、セガが娯楽機器の国内トップメーカーとして君臨したそうです。

 

※エレメカ:
エレクトロニクスとメカトロニクスから産み出された造語で「エレクトロメカニカルマシン(Electromechanical Machine)」。業務用ゲーム機器の中で、ビデオゲーム・メダルゲーム・ピンボールを除くもの。海外ではエレメカとテレビゲームを区別する事なく 「アーケードゲーム」と呼ぶ。

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